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- 冷戦が終結した当初の1990年代初頭においては、フランシス・フクヤマが『歴史の終わり』で述べたことを受けて将来を希望的観測で見る向きもあった。しかし、冷戦終結によってソ連という強大な国家が崩壊すると世界の均衡が崩れ、2000年ごろまでのその後10年間に旧ソ連・中東欧を中心に多くの民族主義を背景にした紛争が起こるなど、困難が待ち受けていた。1992年にチェコからスロバキアが平和裏に分離したのに対し、1993年までに崩壊したユーゴスラビアの紛争は、民族同士の憎しみに火を付けてその後も続いた。カフカス地方ではアゼルバイジャンやアルメニアで内戦となり、チェチェンをはじめ各小民族が独立闘争を起こし、各国で内戦に発展した(第一次チェチェン紛争)。この内戦はロシア軍による圧倒的な火力で制圧されているが、追い込まれた独立派はテロ行為に走り、収拾がつかなくなっている(第二次チェチェン紛争)。また、このテロにはイスラム原理主義過激派の関与が疑われている。 アメリカ同時多発テロ事件アメリカは冷戦に勝利した自信から、湾岸戦争に引き続いて中東への関心を深め、ビル・クリントン大統領はパレスチナ問題に積極的に関わり、はじめて和平合意をもたらした。しかし、イスラエルの凶変から和平は行き詰まり、パレスチナ過激派によるテロとイスラエル軍による虐殺によって、パレスチナは泥沼の様相を呈した。また、国際連合の力でソマリア内戦に介入したが失敗、これによってクリントンは地上軍の派遣を恐れるようになった。イラク武装解除問題に関しても非常な関心を持ち、武器査察が滞るたびに空爆を加えた。アメリカによる中東介入に反感をもつイスラム原理主義過激派は、アメリカ同時多発テロ事件を引き起こし、対テロ戦争と呼ばれるアメリカのアフガニスタン侵攻やイラク戦争となった。 西欧における冷戦は終結したが、東アジアではモンゴルの民主化、ベトナムとアメリカの国交正常化のほかは、中華人民共和国と中華民国の対立、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の対立が現在も続いており、また日本共産党と朝鮮総連は現在も公安当局(公安調査庁、公安警察)に監視されているなどこちらは解決の見通しが立っておらず、今後はこの問題の解決が課題となっている。特に、中華人民共和国は1989年から軍備増強を強力に推し進めており、周辺国(日本や台湾や韓国)にとって脅威となっていると言われている。 核開発競争によって生産された高性能核弾頭を、現在もアメリカとロシアが数千発保有している。また冷戦初期に核のアメリカ一極集中を恐れた一部の科学者は、核の抑止力で世界の均衡を保とうと、ソ連・イギリス・フランスに開発法を伝授し、ソ連から中華人民共和国にも受け継がれて現在の核五大国が形成されたほか、中華人民共和国やソ連から流れ出た開発法によって(中ソ対立なども要因となっているが)、インド・パキスタンの核保有に、またアメリカから供与された技術によってイスラエルの核保有に及んでいる。 冷戦終結後は経済の建て直しに注力したデータ復旧 だったが、アジア経済危機の影響などで低迷をたどり、いわば「冷戦の敗戦国」として欧米の経済援助に甘んじていた。しかし2003年頃より原油価格高騰の恩恵により急速な経済発展を遂げ、それを背景にプーチン政権は再び「強いロシア」の復権を謳い、EUやNATOへの旧ソ連加盟国の取り込みを進めていた欧米に対して牽制の動きを見せる様になった。2008年8月には南オセチア紛争によって米ロ間に軍事的緊張が生じ、「冷戦の再来」「新冷戦」などと呼ばれる状況となっており、緊張状態が続いている。 暴力(ぼうりょく、Violence)とは他者の身体や財産などに対する物理的な破壊力を言う。 すべての人間の身体には現実の世界に具体的に働きかける能力があり、この能力が他者の意志に対して強制的に加えられると暴力となる。[1]哲学者のエマニュエル・レヴィナスは人間関係に原初的に存在するものが暴力であると論じた。二者だけの人間関係に友好は不可欠なものであるが、別の誰かとの親密な関係が発生すれば二者の関係は相対化され傷つけられ、友好関係だけではなく対立関係が形成されうるようになる、と指摘した。[2] 暴力は殺人、傷害、虐待、破壊などを引き起こすことができる力であり、また二次的な機能として強制や抵抗、抑止などがある。人間の暴力性については心理学は抑圧の発露、押さえつけられたルサンチマン、生体に宿る破壊衝動(デストルドー)として説明がなされることもある。動物行動学の立場から進化の産物であるとする説明が有力である。捕食者や外敵からの防御、雌を巡る雄の性淘汰の争い、群れの序列を巡る争いなどを経て、身体能力を高める。チンパンジーには子殺しも認められる。また攻撃性には明らかな性差が認められる。生化学の分野では男性ホルモンのテストステロン[3]の関与が指摘されており、軍人や警察官、さらに殺人犯の過半数が男性で占められている事実がそれを裏付けることができる。 暴力は人間の尊厳や人権を脅かすものであり、人道主義や平和主義の立場ではあらゆる対立は非暴力的な手段によって理性的に解決されるべきという社会の規範が示される。しかしながらその規範が実施されるとは限らない。そのために暴力に対抗することが必要となる。しかしこれは暴力と非暴力、善悪の対立ではありえない。暴力に実質的に対抗できるのは同等の暴力だけである。[4]つまり暴力を統制するためにはより強力な暴力、すなわち組織化された暴力(Organized violence)が社会の中で準備されなければならない。軍隊、警察がこれに当たり、社会学者マックス・ウェーバーはこれらを権力の転職サイト にある暴力装置と位置づけた。 暴力は多様な形態を示す。 行使の当事者が、正当な権利の行使である、あるいは報復や正当な懲罰行為であると主張するが、他方からは正当性が認められないという事態が起こりうる。特に国家間の軍事力の行使では、こうした意見の対立が多く見られる[5]。 暴力が現れる場面・暴力をふるう者 歴史的に見て、暴力はいつの時代にも存在していた、と言えよう。 人類の歴史を見ると(一部の例外的な地域・時期はあるにしても)概して、戦争は絶えたことが無い。歴史的に見て、兵士が兵士に対して暴力をふるうだけでなく、一般の住民(非戦闘員)の財産・金品を略奪したり、必然性も無く殺したり(殺人)、婦女暴行・強姦を行っている事例は枚挙にいとまが無い[6]。(→ 戦士、武士、兵士、軍人などが行為主)。 国家の政治権力を掌握している側の看護師 求人 が、国内の人々に対して暴力をふるうことがある。そのような暴力としては、人権蹂躙、抑圧などといったタイプのものから、殺人・大量殺戮(さつりく)といった過激なタイプのものまで様々なバリエーションがある。過激なほうの例としては、粛清が挙げられる[7] (→ 国家元首、権力者、役人、官僚、行政、政府などが行為主 ) また既成権力に属していない側の者、権力による暴力を受けてきたと受け止めている側(体制側から見た場合のいわゆる"反体制勢力")によっても報復的あるいは防御的に暴力が行われることがあり、顕著な例では革命、独立戦争、テロリズム[8]などとなって表れる。(→ごく普通の人々・民衆、一般国民・一般市民、極右、極左、テロリストなど) 他人の財産を奪おうとする者が暴力を振るうことがある、ということは古今東西変わらない(→ 強盗など)。世界的にはマフィア、日本では暴力団のように、様々な形で暴力行為を継続的に行っている組織も存在する(→ マフィア、暴力団員)。 現代の一般家庭の一部においても暴力が行われていることがあり「家庭内暴力(ドメスティックバイオレンス、DV)」と呼ばれている。 その中でも配偶者による暴力は「配偶者による暴力」と呼ばれることがある(→配偶者、夫、妻)。児童を虐待することは「児童虐待」と呼ばれている(→ 親など)。逆に年配の人を虐待することは「高齢者虐待」と呼ばれている(→ 子など)。 また家庭と同様に閉鎖的な共同体である宗教団体(既成、新興に限らず)の一部でも暴力が行われている場合がある[9]。また、企業の内部でも、弱い立場の従業員に対して、陰に陽にさまざまな暴力が行われていることがあり、それらの中には最近では「パワーハラスメント」という用語で捉えられるものもある(→ 雇用主、上司)。学校内で、主として生徒によって行われる暴力は「校内暴力」(スクールバイオレンス)と呼ばれている(→ 生徒)。学校内では、教師などが、生徒に体罰という名の暴力をふるうこともある(→教師、上級生)。 歴史的に見れば、他人を暴力によって監視カメラ しようという傾向は、正常な状態ではないとされるようになってきている傾向がある、と言えよう。例えば、現在の日本では、身体的・心理的暴力は、傷害罪などの罪に問われる場合がある。(詳細は下記「日本の関連法規」) また、近年の研究によって、暴力の行使は、行使された側(被害者)に、PTSD等の心理的ダメージを後々まで残すことが多いことは世界的に知られるようになってきた。 暴力をいくらか生産的な面に転じる働きを昇華という。攻撃衝動は昇華としてスポーツに向けられるし、芸術の分野ではハードボイルド小説やミステリー、ロマン主義の一部などが挙げられる。 ただ、わいせつなど性描写と並んで表現の自由に絡みがちな面はあり規制には賛否を引き起こしやすい。過度の規制は慎むべきだというのが良識的な意見だが、どこまで規制できるかはしばしば裁判で争われる。 暴力の行使は刑法では、傷害罪、暴行罪、強要罪、強盗罪、恐喝罪、器物損壊罪、決闘罪などとして処罰される可能性がある。刑法以外では、暴力行為等処罰ニ関スル法律、航空機の強取等の処罰に関する法律、迷惑防止条例などがある。 暴力的な政治的活動が行使されない状態、争いがなく穏やかな状態等を一般に平和と呼ぶ。