- ■ビジトモナビ
- ベルギーでは、こうした試みは国会での大論争に発展し、同様のリストは作成されなかったが、詳細な報告書が発表された。 スイスでは、連邦評議会が「互いに関係のない」グループに対する悪意的な同一視に注意を払っており、「思想と信仰の自由及び結社の権利は、連邦憲法に記されたものである」としている。スイス国内の少なくとも4か所の裁判所が、サイエントロジーは宗教ではなくて事業だと認定している。 2001年9月6日、「Chevaliers du Lotus d'or」の指導者Gilbert Bourdinの巨大像が、建築許可に関する裁判の判決によって取り壊された。 司法はまた、元信徒の名前を電子ファイルデータに不当使用したとして、サイエントロジーを告訴している(サイエントロジーは敗訴)。同団体は「組織的詐欺」の疑いでも取り調べを受けた。同団体はこの他にも、世界各国で、不審死亡事件に関連した裁判で敗訴している。 セクト的宗教団体の告訴及び判決における主な罪状は、労働法違反、詐欺、危険な状態にある人の救済過失、不法医療行為、児童虐待が列挙できる。フランスの法律は「精神操作」の罪を認知していない(人権諮問委員会によって2000年に提案されたが、採択されなかった)し、成人の同意に基づくところの社会生活の損失に係る問題には関与しない。 政府のセクト対策は、情報提供と、特定団体の手法を記載した報告書を発表することにもある。 セクト的で危険であるとみなされる団体に対して、「市民を保護するために国が干渉するべきである」という考える人たちと、「市民の信仰と結社の自由を制約する権利を国は持たない」と考える人たちとが、長期にわたって議論を重ねている。カナダの社会学者ダニエル・ヒルは、次のように述べている。 自由を尊重する社会は、自ら進んで自立性を放棄したり、無駄な目的のために財産を費やしたり、自らに有害なことを実践したりしている人たちを保護出来るとは限らないということを受け入れなければならない。それが信仰や結社の問題なのであるが、真に自由な個人は、自身の選択から喜びを受けることも自由であると同時に、それによって苦しみを受けることも自由なのである(J.F. Mayerが「Sectes nouvelles, un regard neuf」で引用。1985年)。 フランスは、セクトに関する委員会の報告書の中で、セクト団体リストを作成したが、激しい批判がなかったわけではない。専門家は慎重に受け入れたのであった。ヴェルネット司教は、教会が認めている組織(例:オプス・デイ)がセクト指定されていることに懸念を示した。ベルギーにおいては、1996年に国会委員会が同様の試みを行ったが、添付されていたセクト団体リストも含め、報告書は国会でほぼ全面否決された。この件に関し、ヴェルネット司教は次のような声明を発表した。 「(ベルギーの委員会報告書は)幾つかの団体を間違ってセクト扱いするなど、不当な認定と思われる要素を含んでいると同時に、リストの内容がメディアで報じられたことから、当該団体やその信者(会員)に対して甚大な影響をもたらした。しかしながら、その声は取り上げられることもない。復権や新たな裁判が実施されることもない。この件を扱う権限を有するとされる機関が無いからである。これは法治国家においては深刻な事態であり、また別の角度から同様の事態が起きる危険が懸念される」。 ヴェルネット司教はまた、新興宗教とセクトに関する事典を著しているが、それには400の団体が記載されている(国会報告書には172団体が記載)。 カトリック教会の何人かの指導者たちの懸念及びその反応の慎重さは、カトリックの内部において、カリスマ的存在を有しセクトとみなされるようなおせち の様相を呈している団体がセクト指定されるのではないか、という心配によるところが大きい。 「主要な宗教」もセクト指定されるべき基準を満たしていると考える人たちもいる。彼らはそう考える根拠として、カトリック神父の小児愛事件や、イスラム教やユダヤ教における盲目的信仰(狂信)を挙げる。 また、「主要な宗教」自体はセクトではないが、その内部にセクトが存在している、と主張する人たちもいる。 他方で、「主要な宗教」はセクトと同一視されるものではない、と考える人たちもいる。それらが社会に認められ、社会に溶け込んでいるというのがその理由である。言うなれば、その団体が存在する国の政府が、セクトか否かの決定の保証人となり、宗教団体によって管理されている場合を除き、セクトである可能性があるグループについての調査を禁じているのである。 また、「主要な宗教」(とりわけカトリック教会が槍玉に挙げられている)が、セクトに対する不信感を利用し、正統派とされないグループをアウトサイダー化させたり、異端呼ばわりしようとしている、と考えている。 セクト擁護者たちは、カトリック教会がそのために、反セクト運動の活動を利用しカ、トリックの思想や知識を「ADFI(家族と個人を守る会)」に教育している、とも考えている(Joel Labruyere(OMNIUM代表、サイエントロジーに近いとされている)。の「L'Etat inquisiteur」参照。) 著書「Dictionnaire de philosophie」の中で、Andre Comte-Sponvilleはこう記している。 「セクトとは、別の人の教会である」 新聞「Charlie-Hebdo」2000年6月28日号の記事の中で、Francois Cavannaはこう記している。 「宗教とは、成功を収めたセクトである」 欧州人権裁判所のホフマン裁判でフランスが1996年に敗訴して以降、フランスの司法はセクト問題においてヨーロッパ人権条約に準拠した判決を下すようになった。 欧州人権条約9条は宗教の自由を塗装工事 する場合には具体的な犯罪があること等、相当の理由が必要であると定めており、以後、これらの問題に関してはこの条約に準拠するようになった。この結果フランスの反セクト法も人権条約に違反しないよう何度も検討され、条約に批准した法律として制定された。人権条約9条自体は国家が多様な宗教制度を取る中で生まれた妥協的な産物であり、国教を定めた国を違法とみなさないなどの片手落ちな側面も見られるが、個人や団体の活動を国家が正当な理由なく制限する場合には違法とみなす判決を下す。また同裁判所は国教を定めないフランスの政教分離をヨーロッパにおいて最も見習うべきものとの見解を示している。またヨーロッパ人権裁判所は国家の裁判所よりも上位にあるとされている。 フランス政府のセクト対策の対象に国際的な団体も含まれていた。 日本の創価学会やサイエントロジー、エホバの証人なども含まれていたため各国で議論が起こり、日本でも議論が起きた。 創価学会員とそのアンチの間で行われた議論は有名である。 両陣営共に犬猿の仲でありながら、フランス政府のセクト対策の実態を無視して議論する点では非常によく似ていた。 創価学会員にとってはセクト対策がまじめなものである事は創価学会の名誉を傷つける非常に不都合な事実であり、アンチ(創価学会の批判者)は実態以上に大げさに取り上げることで創価学会を叩く材料とした。 フランス政府のセクト予備校 が慎重なものであることは徹底的に無視された。 その為、フランス政府のセクト対策について創価学会員の間では狂信的なキリスト教信者が単独で行った狂信的なものであるという論証が支持を集め、アンチの間では創価学会はオウムより危険視されているという論証が指示を集めた。 双方共に捏造しあい、近親憎悪とも呼べる状態だった為に、日本での議論は混乱を引き起こした。 両者の間で実際の対策内容について調べるのがめんどくさい、双方ともに相手側の提示する資料は調べたがらない、都合の悪い資料は全部無視する、捏造を指摘されると議論を取りやめ仲間内だけで勝利宣言を行うという態度もこれを後押しした。 この議論は特に熱心なものたちの間で行われた議論であり、一般の学会員や特に熱狂的でないアンチの態度については不明であるが、特筆すべき事項としてここに記載した。 第3者の間では、この両者の捏造をみて、実態を調べる気持ちが減衰されるという態度が見られた。 実際のフランス政府のセクト対策は、詳細な調査、各県における専門部署の設置、海外県の歴史的な事情への配慮、裁判実績の積み重ねと被害者救済策の検討、問題点の多い団体を紹介した報告書の提出など非常にまじめなものであった。 中立的な観点から調べたい場合、ページ末尾に新聞記事の調べ方とそのリストや、セクト対策に関わる行政資料とその日本語訳へのリンクを書いたのでそちらを参考にするとよい。 フランス政府の反セクト法についてネットで議論が行われ、それに対し創価学会本部が産経新聞の紙面を借りて反論した内容も捏造合戦の一部に含まれている。 B.ウィルソン 『宗教セクト』 池田昭訳 恒星社厚生閣 1991年 ISBN 4769907206 小泉洋一 『政教分離の法フランスにおけるライシテと法律・憲法・条約』 2005年 ISBN 4-589-02857-3 山口広・中村周而・平田広志・紀藤正樹 『カルト宗教のトラブル対策』2000年 ISBN:4-876-52381-9 s:フランス政府セクト対策一覧 フランスのセクト対策に関する行政資料の日本語訳を掲載。 文部科学省中央教育委員会 部美哉氏(國學院大学長)の意見陳述の概要 [1] 「基本問題部会における「宗教教育」に関するヒアリングの概要」 [2] の2つに僅かではあるがフランスのセクト対策についての記述がある。